社内コラム|令和7年9月号
空海に学ぶ、学ぶ力と伝える力|人から人へ受け継がれるもの
公開日:2025年9月18日 発行:株式会社ぐりーん
ぐりーんでは毎月、職員に向けて社内コラムを共有しています。このページでは、その中から、これから一緒に働く方にも知っていただきたい考え方を、読みやすく編集してご紹介します。
日々の様子はInstagramなどのSNSでも発信しています(ページ下部のボタンからご覧いただけます)。もし良かったら、フォローしていただけるとうれしいです。
遣唐使として海を渡った僧たち
平安時代の初め、804年に出発した遣唐使の一行には、のちに真言宗を開く空海や、天台宗を開く最澄など、仏教を深く学ぼうとする僧たちが加わっていました。
同じ頃に唐へ渡った僧に、霊仙(りょうせん)がいます。近江(現在の滋賀県)の出身とされ、唐で経典の翻訳に加わり、日本人でただ一人「三蔵」の称号を得たと伝えられています。ただし霊仙は日本へ戻ることなく、唐の地で生涯を終えました。命がけの航海と長い留学を経て、学んだことを国へ持ち帰るのは、それほど難しいことだったのです。
恵果から空海へ、半年で受け継がれた教え
空海は唐の都・長安で、密教の第一人者だった恵果(けいか)に出会います。恵果は空海の才能と熱意を見抜き、わずか半年ほどのあいだに、密教の教えを余すところなく授けたといわれています。そして同じ年の暮れ、恵果はこの世を去りました。
本来、20年の予定だった留学を約2年で切り上げ、空海は806年に帰国します。受け継いだ教えを一日も早く日本に伝えたいという思いがあったと考えられています。その後、816年には高野山を開き、日本に真言密教を根づかせていきました。
「密教」の「密」は、言葉だけでは伝えきれない深い教えを、師から弟子へ直接、体験を通して伝えることを大切にする考え方を表しています。人から人へ、顔を合わせて受け継ぐことに重きを置いた教えだったのです。
誰もが学べる場所をつくった空海
空海は教えを伝えるだけでなく、人々の暮らしのためにも力を尽くしました。故郷・讃岐(現在の香川県)では、ため池「満濃池」の修築を指揮したと伝えられています。
さらに828年頃には、京都に「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を開きました。当時の学校は貴族や役人の子弟のためのものが中心でしたが、綜芸種智院は身分にかかわらず学べることを目指した、日本で最初期の庶民のための学校の一つとされています。
子どもの支援にも、働く私たちにも
「誰もが学べる場所をつくる」という空海の思いは、今の児童発達支援・放課後等デイサービスにも通じるものがあります。
- 発達の特性や得意・苦手にかかわらず、一人ひとりが自分のペースで学べる環境を整える
- ことばで伝わりにくいことは、実際にやって見せる、一緒に体験するなど、伝え方を工夫する
- 子どもの「知りたい」「やってみたい」という気持ちを大切にし、学ぶ楽しさを育てる
そして、恵果が空海に教えを託したように、支援の知恵もまた人から人へ受け継がれていきます。経験のある職員が、子どもへの関わり方を現場で見せながら伝えること。新しく入った職員が、分からないことを遠慮なく聞けること。ぐりーんでは、職員同士が学び合い、教え合う関係を大切にしています。一人の気づきがチーム全体の力になり、それが子どもたちへの支援の質を高めていくと考えています。
監修:佐野 明香(児童発達支援管理責任者) 監修日:2026年10月15日
ぐりーんで働くことに興味をお持ちの方へ
