社内コラム|令和6年12月号
江戸無血開城に学ぶ対話の力|立場の違いを、話し合いで乗り越える
公開日:2024年11月20日 発行:株式会社ぐりーん
ぐりーんでは毎月、職員に向けて社内コラムを共有しています。このページでは、その中から、これから一緒に働く方にも知っていただきたい考え方を、読みやすく編集してご紹介します。
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開国をめぐって揺れた幕末の日本
江戸時代の終わり、ペリーの来航をきっかけに、日本は外国から開国を強く迫られました。1858年、幕府の大老・井伊直弼は、孝明天皇の許し(勅許)を得ないまま、アメリカと日米修好通商条約を結びます。この条約は、日本に関税を決める権利がなく、外国人を日本の法律で裁けないなど、日本に不利な内容を含むものでした。
外国との交易に反対していた孝明天皇は強く反発し、幕府と朝廷、そして開国か攘夷(外国を打ち払う)かをめぐって、国内は大きく揺れ動きます。1860年には井伊直弼が江戸城の桜田門外で襲撃される事件(桜田門外の変)も起き、世の中は混乱を深めていきました。
大政奉還から戊辰戦争へ
1866年12月、徳川慶喜が15代将軍に就任しますが、そのわずか20日後に孝明天皇が亡くなります。翌1867年、慶喜は政権を朝廷に返す「大政奉還」を行い、約260年続いた江戸幕府は幕を閉じることになりました。
しかしその後、新政府と旧幕府の対立は深まり、1868年には京都の鳥羽・伏見で戦いが始まります。この戦いをきっかけに、新政府軍と旧幕府軍による戊辰戦争が各地に広がっていきました。
江戸の町を救った話し合い
新政府軍は江戸城への総攻撃を決め、江戸の町は戦場になる寸前でした。当時の江戸は、100万人を超える人々が暮らす世界有数の大都市です。もし総攻撃が行われていれば、多くの人の命と暮らしが失われていたかもしれません。
このとき、旧幕府側の勝海舟は、使者の山岡鉄舟を新政府軍の西郷隆盛のもとへ送り、事前に条件をすり合わせます。そして勝海舟と西郷隆盛が直接会って話し合い、総攻撃は中止。江戸城は戦うことなく新政府に明け渡されました。これが「江戸無血開城」です。
敵と味方に分かれた二人が、それぞれの立場を背負いながらも、「江戸の人々を戦火から守る」という共通の目的に向かって話し合った。この出来事は、対立を対話で乗り越えた例として、今も語り継がれています。
子どもの支援にも、働く私たちにも
立場や考えの違う相手と、どう向き合うか。これは支援の現場でも、毎日のように出会うテーマです。
- 子ども同士のけんかでは、どちらが悪いかを決める前に、それぞれの気持ちを言葉にする手伝いをする
- 保護者と支援の方針について考えが違うときは、「子どもの成長」という共通の目的に立ち返って話し合う
- 職員同士で意見が分かれたときも、相手の考えの背景を聞き、一緒により良い方法を探す
勝海舟と西郷隆盛の会談の前には、山岡鉄舟が命がけで道をつないだように、対話には準備と、間に立つ人の力も欠かせません。ぐりーんでは、職員一人ひとりの意見を大切にし、話し合いで支援をつくっていくチームを目指しています。意見の違いは、より良い支援を見つけるきっかけになると考えています。
監修:佐野 明香(児童発達支援管理責任者) 監修日:2026年10月15日
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